経済的自由のススメ

タダでもやりたいことで勤労所得を得て、投資で不労所得を得て、それを死ぬまでに全部使い切る、という生き方のススメ

タダでもやりたいことをしてついでに稼ぎたいんだけど

「好きで好きでたまらないことをとことん自分の好きなようにやっていたらあんまり凄いレベルまでいってしまい、必然的に成功しかあり得なかった」というのが、自分の憧れる生き方だとプリンスが死んだときに気づいたんだけど、ついこの間ダンカンたけしさんの「割り切って楽しめる仕事だとある意味気軽」という意見を読んで、ちょっと考えたことがあったので書く。

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あたしは今フリーで翻訳やってるけど、ダンカンたけしさんと同じような感じ。翻訳はすごく好きでやってて楽しいけど、変なこだわりみたいなのはないから割り切って仕事できてる。クライアントがダメダメな原文を送ってきたり、イマイチな訳語を指定してきたりしてもあまりストレスを感じたりしない。ダメダメな原文は翻訳の域を出ない範囲でまともな文章にして訳すし、イマイチな訳語も「こういう訳語もご検討ください」みたいな申し送りを一応付けるかもしれないけど、快く使ってそれでベストな訳文を作る。

だから仕事として翻訳はあたしにすごく合ってると思う。自分の能力を楽しく活用しながら報酬をもらってる。でも、もう翻訳はできないって状況になったとしても、きっとつらくない(他の収入源を見つけるのが大変ってこと以外は)。

 

でもお金稼ぐ必要なかったら?とか思っちゃうんだよね、あたしは。

 

お金稼ぐ必要なかったら翻訳やってるだろうか?翻訳を始めたばかりの頃は、面白くて面白くて、タダでもやりたいくらいだったし、実際、仕事の合間にボランティアの翻訳もやったりしていた。でも今は暇になってもきっとボランティアで翻訳したりしない。

この変化はなんなんだ?と思って考えたんだけど、たぶん自分の実際の能力が仕事で求められる能力に追いついちゃったってことに関係してると思う。つまり、新しいことを学ぶ機会も更に能力を伸ばす必要性も減ってきたから「面白くて面白くてたまらない」感覚がなくなってしまったってことなんだろう。

だとすると、やっぱりあたしの理想は「失ってもいい好きなものを仕事にする」じゃなくて「タダでもいいからやりたいことをしてたら稼げちゃった」なんだろうなぁ。

もちろん、ダンカンたけしさんみたいに、失ってもいい好きなものを仕事にしてストレスなく稼いで、本当に好きなことは別なところでやるっていう2本立て人生構造もアリだと思うけど、もしかしてあたしにとっては「失ってもいい」と思い始めたらそれは「ここからは長くは続かないかもよ」っていうサインなのかもしれない。

自分が成長することは止められないから、やってることの内容とか難易度が常に上がっていく(または自分で上げていく)か、その都度新しいことに移行する状態じゃないと「タダでもいいからやりたい」ってずっと思い続けられないのかもしれない。

やりたいことをやるのはそんなに難しくない。それで稼ぐと言うとちょっと難しいかもしれない。でも本当に難しいのは稼げるようになっても面白いと思い続けられるようにやっていくことなのかも。