経済的自由のススメ

好きなことで稼いで、保険として投資で資産形成して、それを死ぬまでに全部使い切る、という生き方のススメ

やみくもに稼ぐ必要はない

いや、世の中には本当にたくさん「楽して今すぐ大金稼ぎたい人」がいますねー。そしてそういう人たちは、マルチ商法的かつ新興宗教的に「あなたも稼げる!」系の教材を売ることでもの凄く稼いでる人に面白いようにカモられてる。ひぇー。そういう稼ぎ方を編み出して実行してる人も凄いけど、簡単にカモられちゃう人が大勢いるって事実も衝撃的。

で、なんでよ?と考えてて思ったんだけど、そういう人たちは経済的自由とお金について考えるとき、とにかく「やみくもにたくさん稼ぐこと」だけ考えてるんじゃないのかなぁ。もちろんそういう道もあるし、それ自体は別に悪くないと思うけど、ちょっとズレてる気がする。そして「経済的自由と思える具体的な金額」とか「お金に働いてもらうこと」なんかもあんまり考えてない気がする。

経済的自由

要は「お金に関してはもう心配しなくてもいいや」って思える状態になればいいわけだから「やみくもにたくさん稼ぐ」っていうのは必要最低条件じゃない。今すぐそうなりたい人は宝くじに当たるとかしないと駄目だし、何も貯蓄がない状態で数年後にはそうなりたい場合はかなりの額を早急に稼がなくちゃいけないけど、そういう「とにかく早く今の生活から抜け出したい」みたいなのがモチベーションになってる人は、抜け出したいのがズバリ貧困でない限り、稼ぎが増えたって本質的には自由にも幸せにもなれません。お金以前に人生を考え直すべき。

じゃあ「お金に関してはもう心配しなくてもいいや」って思えるのはどんな状態なのか?って言うと、財源(勤労所得+不労所得+財産)から支出(自分が快適と思えるレベル)>0っていう状態を死ぬまで継続できそうだと思えること。つまり、死ぬまで 差し引きゼロ以上であれば100-9でも10-9でもなんでもいいし、使い切って死ぬっていう前提に近いレベルで構わないってこと。なんなら、持ち家もリバース・モーゲージしちゃったって構わないとあたしは思う。

勤労所得

もちろん「一気にたくさん稼いでさっさと辞める」って選択もあるけど、「定年まで勤めてもいいと思える仕事を定年まで勤める」のもいいし「死ぬまでやってもいいと思えるような仕事を老いてできなくなるまでやる」っていう選択もある。もし「今やってる仕事をさっさと辞めたい」って思うんなら、それは今やってる仕事に問題があるわけで、経済的自由を得る方法の選択とは別の話ですから。

財源-支出の変化を勤労所得に関するアプローチ別に図にするとこんな感じ↓

財源-支出の変化

さっさと辞めるには定年退職よりかなり多く資金が必要。好きなことをできなくなるまでっていう選択は、フリーランスとか自営業みたいに首を切られることがない形態であれば、基本的にその覚悟を決めて、できなくなる時期がなんらかの理由で早まるリスクのヘッジをした時点で、経済的自由を得たも同然になる。(これは説明しても分かってもらえないことがあるけど、タダでもやりたいことをして報酬もらえてるとそういう視点になります。マジで。「経済的自由」はある意味「幸せ」と似ていて、半分は心の状態なのよ。)

財産と不労所得

そして、財産を運用して不労所得を得る、つまりお金に働いてもらうこと。あたしはドルはわりときちんと運用できてるけど円はほとんど運用できてないって状態だから、この辺については今のところあまりいろいろ言えないんだけど、定期預金で人をバカにしたような利率を稼いでるだけのお金は働いてるとは言えないと思う。長い目で見たら、リターンがちょっと上がるだけでかなりの差が出る。複利運用の効果についてはアインシュタインも「世界8番目の不思議は複利である。知る者は複利で稼ぎ、知らぬ者は複利を支払う」みたいなこと言ってたけど、分かりやすくグラフにするとこう↓

複利運用

実際には長期間に渡って同じレベルのリターンを得られることはあまりないから、こういうきれいな線にはならないけど、要は最終的に(長期的に)以前より上がってればいいわけで、途中の(短期的な)上下のことを心配するあまり0.1%とか0.2%の定期だけしかないっていう人は、視点が完全にズレてる。

支出

ここ数年、一部屋でロフト部分が寝室、みたいな、もの凄く小さな家を建てて住む人がアメリカでたくさん出てきてるけど、こういう財源を増やす代わりに支出を限りなく減らすって方法もある。これはこういうライフスタイルがいい!って積極的に思えないかぎり本当に自由ではないと思うけど、やってる人たちのインタビューとかブログとか見ると本人たちは楽しそうだし、こういう経済的自由もまじでアリだと思う。

今すぐ大金稼がなくてもオッケーだよ。経済的自由っていろいろあるよ。