経済的自由のススメ

好きなことで労働所得を得て、投資で不労所得を得て、それを死ぬまでに全部使い切る、という生き方のススメ

文法があってるかとか、発音が完璧かとかは当然で、そこから先が勝負の場合もあるんです

ちょっと前に「完璧な語学力より内容が先、内容があれば多少語学力がマズくてもオッケー」という話をしました。

文法があってるかとか、発音が完璧かとか、最初はどうでもいいんです - 経済的自由のススメ

今日は逆のことを書きます。

きちんと伝えたいことがあって、しかもそれを大衆に向けて発信したい場合、話は全く別です。そういう場合、文法に間違いがなくて、作法に則った書き方の文章であるとか、ちゃんとした発音で相手が聞き取るうえで負担にならないとかは当然になり、そこから先どのくらいうまく伝えられるかが勝負となります。

コミュニケーションにはレベルがあり、そのレベルにあったものを用意する必要があります。そのことを意識していない人が多いから、例えばオリンピック会場の道案内も選手のインタビューも全部同じレベルで「ボランティアの通訳でいいや」って思ったり、ちょっとしたメールのやり取りもウェブサイトの翻訳も全部「機械翻訳でいいや」とか「とにかく安く」っていう話になるんじゃないかと思うんですよ。

場面によってはプロまたはプロ並みのスキルが必要です。そういう意味では専門スキルってのには相応の価値があるんだよ、ということにも繋がる話です。

専門スキルにはお金を払うべきだし、専門スキルがある人はお金を要求するべき - 経済的自由のススメ

プロのスキル

伝え方

日本ではどうなのかちょっとよく分からないんですが、少なくともアメリカでは、政治家とか企業の重役とか広報担当者など、大衆を前にして喋らなくちゃいけない人は「メディアトレーニング」なるものを受けるのが普通です。テレビに出たり、ニュースなんかでインタビューを受けたりする場合に、いかに自分の(または自社の)立ち位置をうまく最大限にアピールし、難しい質問もソツなくこなすかというトレーニングで、どういう言い方をすると好感度が増すのか、どう説明すれば一般市民の理解を得られるのか、どういう印象を残すべきなのか、そのためにはどう喋るべきなのかなど、みっちりコーチングを受けます。

そういうレベルのコミュニケーションをしなければならない場合、スピーチなんかもスピーチライターが書きます。どういう順序でどう言語化すれば効果的か熟知しているプロが書くわけです。政治家なんかの場合は、1人のライターでなく、チームで状況を分析して戦略を練り、何をどう言うべきか検討します。

こういうのは極端な例かもしれませんが、もっと一般的な話で言えば、会社の公式サイトとか広告のようなマーケティング関係のものとか、クライアント先での営業プレゼンテーションなんかも考え方は同じです。内容がちゃんとしていて誤字脱字がないのは大前提で、いかに心に響くコピーをひねり出すか、何をどう言語化すればブランドイメージを強化できるのか、どういうテクニックを使えば相手に興味を持ってもらえるのかなど、そこから先の伝え方が勝負となります。

そういう場合、通訳や翻訳に求められるもののレベルも違うことは当然ですよね?

外国語でコミュニケーションしたい場合に「内容、文法、発音、作法」をきっちり押さえ「そこから先が勝負」の部分まで対応できるのがプロの通訳や翻訳者です。クライアントが考え抜いたアングルや根底にある伝えたいことを理解して、それを最大限に別の言語で表現する、というのがプロの仕事です。

単語や言い回しの選び方

でも原文さえしっかりしてればそれをそのまま訳すだけでしょ?と思った人もいるかもしれませんが、それは違います。どれほど良く書けているものでも、そのまま原文の形通り訳した、いわゆる「原文に引きずられている訳文」に原文と同じ効果を期待することはできません。ニュアンスを変えないで同じ効果が得られるように別の言語で表現し直すというのは、学校で習うような日本語を別の言語に置き換える作業とは違います

この差が大きく出るのは、意外と簡単な単語の訳し方だったりします。難しい言葉や専門用語の場合、定訳があったり辞書で出てくるような言い方しかしなくて悩みようがないことが多いのですが、簡単な形容詞や動詞は、大抵の場合状況によっていくつにでも訳し分けできます。原文が意図するところを正確に理解して最適な単語を自由自在に訳し分けできるのがプロです。辞書に訳語として載っていない単語をあえて選ぶこともあります。

あと、言い回しもそうですね。「文法はあってるけどネイティブはそういう言い方はしない」ってやつ、あれです。文法があってるならいいじゃん!と思うのはわかります。あたしもそう思います。でもね、「頑張って外国語使ってるなー、微笑ましいなー」って思ってもらえるのが武器になる場面と「いいこと言ってるのかもしれないけどなんかなー」としか思ってもらえない場面があることは確かです。

専門知識

どれだけ語学力があっても専門知識がないと訳せないものもあります。例えば、今村の専門である学術論文の英訳なんかだと、統計モデルを使ったデータ分析による調査がしょっちゅうあるんですが、このような場合、統計モデルを使ったデータ分析の手順と解釈の仕方を理解していないと絶対訳せない文章が出てきます。しかも「このモデルの変数は」と言われたとき「変数」が単数形であるべきか複数形であるべきかとかね、メチャクチャ細かいこと(でも違っていると大きな問題)だったりします。

あと、辞書なんかでは出てこない、その分野独特の文章の書き方とかもそうです。この辺は語学力の違いじゃなくて、知ってるか知らないかの違いです。プロは自分の分野のことを知っているということです。

また、通訳の場合、プロはかなりの時間と労力を下調べにかけています。例えば商談であれば関わる企業、商品・サービスの予習をしますし、インタビューであればその人について調べます。一定の知識がないと当事者同士の話が進んだ時に一緒についていけないからです。このような努力をするのもプロです。

ボランティアや格安サービス

ボランティアや格安サービスがダメということではありません。例えば、オリンピック会場での道案内のように身振り手振りを加えてその場を乗り切ればいいようなシチュエーションではプロのスキルが必要でないのは明らかです。報酬がなくてもいいからオリンピックにとにかく関わりたいという人がいるなら、ボランティアでお願いしてもいいと思います。

内輪で回覧する資料で内容が分かりさえすればいいという場合も高度なプロのスキルは必要ないかもしれませんので、格安サービスにしようという判断は理にかなっています。

でも、ボランティアにそれ以上のことを求めるのは間違っているし、逆に格安サービスのレートで高度なプロの仕事を要求するのも間違っているということです。

機械翻訳

機械翻訳も絶対ダメというわけではありません。とりあえずなんとなくでも意味を知りたいとか、ちょっとした会話を乗り切るために使いたいとか、個人的な利用としては便利ですし、一定の分野に特化した有料機械翻訳ソフトなどもなかなか使えると聞いたことがあります。

ただ、それ以上の品質を求めるのはとりあえず今のところ難しいのではと思います。日本人が喋ったり書いたりする日本語が明確でないからです。主語を省略するのが普通、ロジックじゃなくて雰囲気で喋るのが普通、その分情報を受ける側が行間と空気を読むのが普通なわけですから、機械で直訳したら全く意味をなさないのはむしろ当然です。

個人的には、現在あるような機械翻訳がそのまま発達しても完璧に日本語に対応できるようにはならないのではないかと思いますね。機械翻訳されることを前提にした喋り方や文章の書き方が発達させるとか、日本語で作成したものを翻訳するのではなく、最初から要点や用途などのパラメーターをインプットしたら外国語で文書を作成するテクノロジーを発達させるとか、今あるものとは方向性を変えたものでないと無理だと思います。