経済的自由のススメ ~そのあと~

経済的自由を得て現役引退したあとの生き方

若いうちにやりたいことをやれ、今すぐやれ

こんにちは~、今村です。

ちょっと前に新卒でフリーランスしたいっていう若者の話が話題になって、周りから散々いろいろ言われてましたが、今度は大学辞めて起業したいって若者が同じ目にあってますね。

あたしは本人のブログも読んでないし、それに対する意見も見出しをちょっと見た程度なので詳しく理解してませんが、「やりたいと思ったことをすぐ実行することには意義があり、若いときほどその意義は大きい」と思っているので、今日はこれについて一般論として話します。

もう若くないおばちゃんからのアドバイスだと思って読んでいってください。

やりたいと思う気持ちのパワー

やりたいと思っている人は既にスタートラインにいる

人は誰でも、相応の努力をすれば何でもある程度まではできるようになります。

才能とかセンスとか遺伝子みたいに、努力だけではカバーできない面もあるので、「ある程度」が実際どのくらいになるかは人それぞれですが、自分自身を比較対象として成長できないケースは絶対ありません。

でも「努力してもダメだったことありましたよ」という人もいるかもしれませんね。

なぜでしょう?

それは「やりたい」と思う気持ちがなかったからです。

あなたの努力の大半は「努力しようとする努力」や「気がのらない自分を奮い立たせる努力」だったんじゃないですか?

スタートに立つために大半の努力を費やして、スタートから走るための力はほんの少ししか残っていなかったんじゃないですか?

何かに対して「これをやりたい!」と思っている人であれば、スタートに立つための努力は必要ありません。既にスタートラインに並んで走りたくてウズウズしている人だからです。

やりたいと思っている人にとって努力はもはや努力じゃない

似たような意味で、やりたいという気持ちがある人にとっては、実際にやり始めてからの努力はそういう気持ちがない人の努力に比べて辛いものではありません。

これは、辛いことがあったとしても前に進みたい気持ちが勝つからです。

そしてほんの少し前進しただけでもそれが大きな喜びになり、その後のモチベーションになります。

一方、やりたいという気持ちがもともとなかった人にとっては、小さな前進は小さな前進でしかないため、これを大きな喜びとして感じて今後の糧とすることは難しくなります。

長く続けられるかどうかも、もともとやりたいことであったかどうかに大きく左右されます。やりたくないことでも、報酬や名声など別の場所にモチベーションを見つければ続けられるかもしれませんが、その分余分の努力が必要になるということです。

やりたいと思っている人の情熱は人やアイデアを呼ぶ

何かをなんとしてでもやりたいと思っている人は、そのことについて始終考えていられる人です。

そのような心のあり方は、情報や人を引き寄せます。

そしていろいろな情報に触れるようになれば何かをひらめくこともありますし、いろいろな人に会うようになれば力になってくれる人も現れます。不思議と言えば不思議ですが本当です。 

やりたいと思う気持ちにはそれ自体にパワーがありますから、そのパワーを使うのと使わないのではプロセスにも結果にも大きな差が生まれます。

やりたいという気持ちが湧いてきたら、それは神様からの贈り物です。勝手に湧いてくるパワーを使わない手はありません。

若さという強み

この人生のボーナスパワーである「やりたいと思う気持ち」は、年齢に関わらず湧いてくるときには湧いてきます。

でも、若い時に湧いてきたらダブルチャンスと言っても過言じゃありません。

気持ちのパワーにどこまでもついていけるのが若さだからです。

経験や知識のレベルとリスク許容度の関係

経験や知識は、積み重ねるのに時間がかかる分、とても価値があるものです。

ですが、経験や知識が積み重なるにつれ、その代償として物事を先入観なしに見つめたり経験したりすることが難しくなります。

何かをやりたいという気持ちが湧いてきたとき、それを実行する経験や知識があるのはもちろん有利なんですが、経験や知識があるがために行動に移せないということも起こります。

リスクになりそうなことが、実際に大きなリスクでなくてもリスクの可能性として見えてしまったり、経験や知識があるがために型に囚われてしまい、それらの「リスクの可能性」に自由な発想で対応できなくなるわけです。

経験や知識がないゆえに思い切ったことができる、そして先入観がないために新しい経験をそのまま受け入れることができる、それが若さです。

体力

これは今20代の人に言っても全くわからないでしょうが、これがやりたい!と強く思っていても、年齢を重ねていくと身体が気持ちについていかなくなります。いや、ほんとに。

寝食忘れて没頭なんてのは、やりたくてもやれなくなってきます。

うっかり頑張っちゃうと体調くずしちゃってなかなか回復できないとかね、そんな感じになってどれだけ気持ちがあっても身体的に辛くなるわけです。

そういう意味でも、パワー全開でやれるときはやっておくと良いと思うんですよ、おばちゃんは。

しがらみ

結婚して子供ができたとか、親が年老いて介護が必要になったとか、自分以外の人のことも責任の範囲に入ってくると、やりたいことがあってもそれだけを思いっきり自由にやるのはなかなか難しくなります。

若くてもこういう状況に陥ってしまうことはもちろんありますが、確率的な話で言うと、中年以降の方が断然そうなる可能性が高いわけです。

そういうものがまだない、というのも若さの特権です。

何かを選ぶということ

人生は選択の連続です。

そしてその選択において最も重要なのは、選ぶ行為そのものです。

「何を選ぶか」もある程度大切ではありますが、「きちんと選んだか」とか「どのくらい自分を捧げて選んだか」ということの方が、人生を生きるという意味でのちのち大きな影響を持ってきます。

逆に言うと、人生の意義として考えた場合、情熱を持って一生懸命選んだものであれば、それが何であっても大した差はありません。

今の時代、いろんな選択肢がありすぎて(またはそのせいで何も選択肢がないように感じて)、自分で積極的に何かを選択していない人が多い気がします。

デフォルトの道を受け入れて何も選択していない人や、選ぶことができずに全てを受け入れる形になってしまっている人は、何かを選んで残りのものを捨てる勇気が必要です。

失敗したくない気持ちは分かります。でも、きちんと考えて選べば、それがなんであれ失敗ではないということを覚えておいてください。

 

そういう意味では、世間一般に王道と言われる就職や大学を捨ててもいいと思えるほどやりたいことがある人はラッキーな人です。

失敗するかもしれないし、苦労もするかもしれません。でも、なんとなく周りに流されて就職したり大学に行ったりしている人に比べたら、濃い人生になることは確実です。

逆に言うと、それにもかかわらずやりたいことをやらなかった場合、のちのち必ず後悔します。必ず、です。

 

誰でも、どんな人生を歩んでいても、歳をとると「あのとき別の道を選んでいたらどうなっていただろう……」みたいなことを思うものです。

でも、一生懸命何かを選択して生きてきた人っていうのは、ここで「いや、でもたとえやり直しができてもきっと同じ道を選ぶだろうなぁ」と思うものなのです。「ああ、やり直しができたら絶対別の道を選ぶのに」とは思いません。

そして人生という枠で考えたとき、富とか名声とかに関係なく、成功者は前者です。

そもそも、結果というのは一生懸命何かを選んで精一杯やらないとなかなか出ないものです。でも、一生懸命何かを選んで頑張っていれば結果にかかわらず良い人生になる、ということです。

 

頑張って。勇気を持って。