かなり前に「やりたいことを見つけてやる」ということに関する考え方について書きました。
やりたいことが見つからない人のありがちな間違い - 経済的自由のススメ
その時から、いつか自分の話を例として書こうと思っていました。
タダでもやりたいことをして稼ぐというのがどういうことなのか、あたしが自分の経験で学んだことを書きたいと思っていました。
で、今日がその日だ!とさっき思ったので書きます。あたしが会社勤めを辞めてフリーランスで翻訳始めて今日に至る話です。*1
企業勤めはもう嫌だ
この話は2008年まで遡ります。
あたしはまだアメリカにいて、大手企業で市場調査・分析の仕事をしていました。10年くらい企業勤めしたところで、すごくいろいろ学んで得たものも大きかったけど、ある程度自分の専門を極めてしまってそこそこ昇進しちゃって、個人的なチャレンジがあまりなくなってきてからは仕事自体に意義を見いだせなくなっていました。
この時点の年俸は日本円で900万くらいでしたが、いつも「こんなの足りない、こんなペースで稼いでたらいつまでたっても辞められない」と思っていました。この頃から転職活動もしていましたが、今よりもっと難しくてもっと稼げる仕事でないと意味が無いと思っていたのでなかなか見つからず、日々ストレスマックス状態でした。
そんなとき、リストラをくらいます。
2008年12月の初め頃に、リーマンショックの影響であたしが所属していた課が丸ごと切られました。翌日からもう出勤しなくてよくて、でも年内はお給料が出て、退職金も少し出るということでした。
その日、家に帰って改めて思いました。
どんだけラッキーなの、あたし!!!
だって、辞めたかったけれど自分で辞める勇気がなくてグダグダしていたんですから。それにもし自分で勇気出して辞めてたら1ヶ月分の給料も退職金も出なかったわけだし、失業保険も出なかったんですから。
そうしてあたしは、望めばしばらく何もしなくていい状態を手に入れたのでした。
自分は一体何をしたいのか
でもいざ仕切り直すとなると、自分でもどう仕切り直したいのかよく分かりませんでした。
企業勤めはもう嫌だ、でも経済的に言っていずれ就職はしないとダメだろう、そうするとやっぱり経験がある分野が有利ということになるかな……くらいしか頭に浮かばず、好きなことしようとかフリーランスしようみたいなことに至っては全く考え付きもしませんでした。また、市場調査で起業できるんじゃない?みたいなことはよく言われたけれど、そんな面倒なことはしたくないと即却下していました。
唯一考えついたのは、NPOで市場調査の仕事を探すことでした。
世のため人のため活動しているNPOだったら同じ仕事でも意義を感じられるかもしれない、と思ったからです。
そこで、どんなNPOがあってどこがどういう人材を募集してるのか調べたり、イベントに出かけたりするようになりました。そしてちょうど年末年始は日本に一時帰国することになっていたので日本でもあるイベントに顔を出したんですが、そこで偶然の出会いがありました。
偶然の出会い
あるNPOの方と話す機会があり、マーケティング関係の仕事を探してるんですよーと言ったら、うちでは募集していないけれど、英語ができるみたいだからボランティアで日英翻訳をやってもらえないかと言われました。
翻訳なんてやったことなかったし、あまり興味もなかったし、ボランティアだし、うーん……と思ったのですが、その場はとりあえず「考えておきます」と答えて別れました。
そしてその後すっかり忘れていたんですが、1月になってアメリカに戻ったあと「どうですか?」という打診が再びきました。
その時点でも特に乗り気ではなかったんですが、ブラブラしてるだけの毎日だし、NPO関係で仕事探してるんだからボランティアしておいてもいいか、と思い直してやり始めることにしました。
そして翻訳があたしにとってもの凄く面白いものだという予想外の大発見をします。
翻訳にハマった
どうしてあたしにとって翻訳が新鮮で面白かったのかということを説明するには、ちょっとあたしの頭の中の話をする必要があります。
普通、日本で生まれ育ってあとから英語を学んだ人の頭の中というのは、言ってみれば日本語版のOSがあり、そこに日本語のソフトや日英・英日翻訳ソフトがインストールされてる状態なんじゃないかと思います。
でもあたしの頭の中って日本語版と英語版のOSが1つずつあって、日本語版OSでは日本語のソフトが、英語版OSでは英語のソフトが稼働する仕組みになってたんですよね。なぜこうなったかはまた別の話なので端折りますが、要は英語を使っている時は英語で考えて英語で喋っていて、日本語版OSは立ち上がってもいなかったということです。
だから翻訳をやってみたらすごく難しかった。
日本語版OSの日本語ソフトで日本語の原稿を読むところまではいいんですが、英語版OSとコミュニケーションしてないから英語でアウトプットができない。
仕方がないので、英語版OSと日本語版OSに穴を開けて2つを繋ぐソフトを自作するようなことを自分の頭の中でやる羽目になりました。
でも、これがもう面白くて面白くて。
英語版のあたしと日本語版のあたしが初めてお互いの存在に気づいて会話しました、みたいな状態で、「◯◯って日本語でこう言うんだー、あ、じゃあアレはつまりこういうことか」みたいに英語版のあたしが持ってたパズルと日本語版のあたしが持ってたパズルを合わせたら絵になった、みたいなこともたくさんあって。
で、言うまでもなく、ハマりました。翻訳に。
好きなことをして稼ぐという悟り
翻訳に夢中になったあたしは、他のボランティア翻訳もやるようになりました。
楽しくて楽しくて、お金なんかどうでもいいからとにかく翻訳したかったし、実際、四六時中翻訳していました。そしてふと思います。
「これでついでに稼げたら最高じゃない?」
そこからはモーレツな勢いで、どうしたらフリーランスで翻訳してお金をもらえるのかを調べました。
一般的なやり方は翻訳会社でトライアルを受けて登録させてもらって発注を請ける形ですが、自分はどの分野で攻めたいのか、その場合どの会社で登録すべきなのか、どうしたら翻訳スキルを向上してトライアルに合格できるのか、フリーランスで働くというのがどういうことなのか、などなど、考えるべきこともやるべきこともたくさんありました。
でも、今振り返ると「できるかな」とか「大変だなぁ」みたいなことは一度も思ったことはなく、ただただ目の前にあることに取り組むのが楽しくて仕方なかったですね。
そしてとうとうその年の5月に初めて翻訳で報酬をもらいます。
その後は、やっぱり駆け出しということもあって継続的に仕事がとれず、徹夜を交えて何日も続けて仕事したかと思うと何日も何日も仕事がないこともザラでした。
でも10月頃には少量だけれど継続的に仕事がもらえるようになってきて、「この調子で行けば、近い将来食べていけるくらい稼げるようになる」と確信しました。
で、「もうなんなら死ぬまでやってもいいくらい楽しい」と思ったとき、人生最大とも言える悟りがありました。
「一生楽しく稼げるなら年収900万なんて必要ないじゃん。老後資金もほとんど要らないじゃん」
その年、2009年にあたしが翻訳で稼いだのは100万ちょっとでした。
実際、生計を立てていくには乏しい金額です。でも足りないなんて思わなかったし、一生この仕事をやってもいいと思いました。
会社勤めしていた時は年収900万では足りないと思ってたのに、好きなことをしていたら100万で満たされている。突然、自分の人生観がガラリと変わって愕然としました。
(…続く)
追記:
後編、書きました。
やりたいことを見つけて仕事にすると実際どうなるかという話:後編 - 経済的自由のススメ
*1:その後、2019年にリタイアしましたが。