経済的自由のススメ ~そのあと~

経済的自由を得て現役引退したあとの生き方

エンディングノートを書こうとしてリアルにわかったことの報告

少し前に自分でエンディングノートを書いて両親にも書いてもらうことにしたという話をしました。

両親にエンディングノートを書いてもらうことにしました

前回の時点では「書いてね」とお願いしただけで、自分も全く何も書いていない状態でした。なので、今回はその後どうなったかという話です。

 

……簡単に言うと、誰も書き終わっていません。ええ。

 

実は、先日伯母が亡くなりました。もう何ヶ月も寝たきりだったのですが、容態が今月の半ばくらいに悪化し、しばらく頑張っていたんですがダメでした。で、独身で子供もいなかった彼女の喪主は唯一の兄弟である父が務めることになったため、父も母もエンディングノートなんて書いてる暇なかったんですね。葬儀は終わりましたがまだ諸々の対応でバタバタしていますし、恐らく四十九日が終わるまでなんだかんだ続くと思いますので、実際に書いてもらえるのはもっと先になりそうです。

一方あたしはと言うと、伯母の件のせいというより、いざ書こうと思うと簡単に書けない項目が多くて決断できず空欄のままのページがまだある、という感じです。

なので、今日は実際に書こうとして感じたことや気づいたこと、そして今回の伯母の件でリアルにわかったことについて書きます。見出しは『もしもノート』のページタイトルです。

「もしも」のときの私の覚え書き

このページには本籍地を書く欄があるんですが、なんでそんなことを書かなくちゃいけないのかよく分かっていませんでした。「身内ならそんなこと分かるじゃん」と思ってとばしていたんですが、伯母の件でなぜ本籍地がぱっと分かるようにしておくべきなのか分かりました。

死亡届に書かなくちゃいけないからです。

同居してれば本籍地の正式な表記はすぐに分かると思いますが、同居していないと意外と「あれ、本籍地ってどこだっけ?」とか「戸籍上の正式な表記はどうなってんの?」ということになります。つまらないことですが。

「もしも」のときにすぐに知らせてほしい人

このページには知らせてほしい人と知らせてほしくない人のリストを書く欄があるんですが、今回、伯母の件で、「もしものとき」をしっかり定義して段階的に分けて考える必要があると分かりました。

伯母は寝たきりの姿を見せたくないということで、本当に親しい人以外には自分が寝たきりの状態であることも知らせていませんでした。それ自体は本人の意向で構わないんですが、血縁的に葬儀に呼ぶべきにもかかわらず寝たきりだったことも容態が悪化したことも伝えていなかった人が結構いて、案の定というか、通夜の当日になってから電話しても連絡がつかない人がいました。

なので、自分が個人的に知らせたいか知らせたくないかだけでなくて、知らせたくなくても危篤になったら知らせるべき人はいないかという視点も必要です。

もしものときにしてほしいこと・知らせたいこと

愛犬の世話くらいしか考えつかないんですが、そういうことに関しては既にそれ用のページがあるので、それ以外にしてほしいことや知らせたいことと言われても何も思いつきません。その一方、何もないわけがないだろうという気持ちもあり、「なし」と書くこともできずにいます。

エンディングノートの項目にないことで誰かにしてもらったり誰かに伝えたいことって一体どういうことなんでしょう?

もしかしてそれって実は生きているうちに「自分でするべき」で「自分で直接伝えるべき」ことなんじゃないかなぁという気もします。

で、それは何?と言われると分かんないんですが。……もう少し考えます。

私が入会している団体・クラブ・同窓会など

「もしもの状態になったら休会または退会の手続きをしてください」ということです。なので、現在所属している団体のリストを作るわけなんですが、今回、現役じゃなくても数年前くらいまでは遡っておいて、簡単な説明もあると無難だと感じました。

というのも、伯母の場合は既に現役で参加している会などなかったのですが、以前そういう関係で叔母と交流があった方が亡くなってから新聞のお悔み欄で伯母の死を知って問い合わせしてくださったんです。それ自体はいいんですが、ぶっちゃけ誰だか分からない人にお悔みを言われても「ありがとうございます」くらいしか言うことがないんですよね。でも故人がどんな団体に所属していたか事前に分かっていると「ああ、あれですね」と対応しやすいし、故人から「◯◯関係の人が問い合わせてきたら私が✕✕と言っていたと伝えてください」みたいな指示があったらもっとましな対応ができたのにと思いました。

何かの教室の講師をしていたとか、学校の先生だったとか、職業によってはこちらから連絡するほどの関係ではないと思っていても相手が問い合わせてくる可能性があるということです。

携帯電話やパソコンのデータ処理

このページには携帯やパソコンの保管場所やメールアドレスを記してデータをどうするか希望を書く欄があります。これはガラケーでしかも最低限の機能しか使っていなくてパソコンも一応持ってるけど年賀状作る程度でしか使っていない両親には十分です。『もしもノート』はそういう意味では両親には書きやすいはずです。

でもあたしの状況には全く不十分でした。USBとかCDとかSDカードなんかもあるし、あたしが死んでもすぐに消去しないほうがいいデータもあるし、SNSのアカウントとかもあるし、この辺は一回まとめてきちんと考えとくべきだろうなぁと思っています。

……と言うわけで、このページも空白のままです。

てか、この間アメリカから取り寄せたノートパソコンもOfficeをインストールしてメールを設定しただけの状態だったりします。Dellをリサイクルに出せるようにデータ消去とかもしなくちゃいけないし。スマホも2年契約が来月末に切れるから格安SIMにするつもりだし、デジタル関係のものはどんどん状況が新しくなるのでエンディングノートに常に最新情報を記載しておくのがそもそも大変そうです。これももう少し考えます。

私自身に判断能力がなくなったとき

病気、外傷、認知症などで判断能力がなくなったり、自分の意思を表明するすべがなくなった場合に任意後見人に連絡するか代理人に連絡するかということを記載するページですが、任意後見人をたてるには任意後見契約が必要で、代理人をたてるには代理の範囲を指定した委任契約書が必要となります。

これってちょっと簡単に頼めることじゃないです。結婚してる人は配偶者に頼めばいいと思いますが。

誰もいない状態で実際に判断能力がなくなってしまったら、恐らく周りの人が手続きをして裁判所が法定後見人を選任するんだろうと思いますが、そういう形できちんと頼まず強制的に身近な人に責任を負わせてしまうのも、自分が信頼していない人が選任させてしまうのも微妙ですよね。

これももう少し考えなくちゃダメそうです。

尊厳死の宣誓書

不治の病で既に末期となった場合、(1)単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はしないで(2)苦痛だけ和らげる緩和医療を行ない(3)持続的植物状態に陥ったら生命維持措置を取りやめて欲しいという宣誓に署名することができるページです。

これはたぶん署名します。でも「上記以外に次のことを望みます」という欄があり、一応考えてみましたが、一体自分が何を望むであろうか見当がつかないというのが正直なところです。

……ということで、このページも書けていません。

お葬式のこと、お墓のこと

伯母はエンディングノートは書いていませんでしたが、寝たきりの時間が長かったので父に口頭で葬儀の希望を伝えていました。そして葬儀屋なども生前に既に決まっていました。葬儀はそれでも大変でしたが、大まかなことが既に決まっていなかったらもっと大変だっただろうと思います。

今回わかったのは、何か特別に希望がある場合は口頭かエンディングノートで事前に伝えておくことが大事だということです。葬儀や埋葬方法はそもそも遺言事項ではないので遺言書に書いても法的効力がありません。そしてたとえ遺族が法的効力に関係なく故人の意思を尊重したいと思っていても、遺言書は家庭裁判所で検認手続きを経て開封する必要があるため通常は葬儀も埋葬も終わってからしか開封されません。なので、事前に伝えない限り意味がないんです。

まとめ

エンディングノート、思ったより難しいです。自分の気持ちを予想することも人に何か大きなことを頼むのも難しいし、絶え間なく変わっていく状況に合わせてエンディングノートを更新していくのも大変そうです。

なので、もしかすると実際にエンディングノートで完璧に全てをカバーしようと思うこと自体が現実的ではないのかもしれません。でもその一方、エンディングノートを使っていろいろ考えてみることが自分自身の生き方の方向性を修正するヒントになるのは確かです。あと、家族でやれば話しにくいことを話すきっかけにもなるはずです(両親が一通り書いたら話し合うつもりです)。

……ということで、現時点では誰も書き終わっていないんですが、書き終わること自体はそれほど重要でなくて、ツールとして使って考えることがもっと大事なんじゃないですかね。