かなりご無沙汰してました。今村です、こんにちは。
今日は9月11日ですね。アメリカで9.11同時多発テロがあった日です。
あれから20年経ったんですって。早っ!
今村は当時まだアメリカに住んでいたんですが、実はあの日、あの瞬間、飛行機に乗っていました。
なんかしみじみ思い出して、当時のことをちょっと書き留めておきたいなぁと思ったので書きます。
ただ書き留めておきたいだけで、特に訴えたいことがあるわけでもないので、まあ読みたい人だけ読んでいってください。
上空で
当時、今村はフロリダ州のマイアミに本社を構えるリゾート関係の会社で勤めていました*1。
そして9.11同時多発テロがあったあの日、久々に日本に一時帰国するため、早朝にマイアミを出てアトランタに飛び、アトランタからロサンゼルスに向かって飛んでいました。
機長の変なアナウンスが入ったのはテキサスの上空でした。
「えーと……ワールドトレードセンターが燃えているとかで……その……とにかく緊急着陸しろという指示があり……ええと、ダラスに緊急着陸します……」
モゴモゴと、なんとも歯切れの悪いアナウンスでした。
実際、「燃えている」しか聞こえなかった人たちが後方にいたようで、「この飛行機、燃えてんの!?」という声があがりました。周りの人が「ワールドトレードセンターだって」と訂正してましたが。
あのとき機長は自分も状況を完全に把握していないまま命令に従っていただけだったのか、それともワールドトレードセンターが燃えていたのは飛行機が突っ込んだからという事実を乗客に言いにくかったのか、その辺はよくわかりません。でも、機長からはそれ以上の説明はなく、私たちはワールドトレードセンターの火事と自分たちが乗っているロサンゼルス便がどう関係あるのかよくわからないままダラスに着陸しました。
あまりにも突飛なことだったからか、文句を言ってる人とか騒いでる人とかは全然いませんでしたね。みんな大人しく飛行機を降りて行きました。
ダラス・フォートワース国際空港で
降りてどうするんだろう?と思いつつ出てみると、到着口でグランドスタッフの人が「本日の便は全てキャンセルとなっております」「再運航がいつになるかはわかりませんので、後ほどカスタマーサービスでご確認ください」と声を張り上げていました。
は??
「えっ、今日はもうずっと1便も飛ばないの?」
「本日は全てキャンセルです」
「全部の航空会社で?」
「全ての航空会社です」
はあ???
わけがわからず、あたりを見回すと、他の便からも続々と客が降りてきていて、空港内のあちこちにあるテレビの前に人だかりができています。
見に行ってみると、CNNニュースが放送されていて、ツインタワーの1つから煙がモクモクと出ているなか、もう1つのタワーに飛行機が突っ込んでビルを突き破って行く映像が流れていました。
唖然としました。
えっ、何これ、どういうこと?何が起こってんの?あたしはどうしたらいいわけ?どうすんの、これ?……と混乱しつつ、バゲージクレームで荷物を回収して出ていくと、ものすごい長蛇の列ができていました。
これは何?並んでおかないとダメなやつ?と先の方まで見に行ってみたら、ホテルの予約電話のブースでした*2。それを見て初めて「あっ、そうか、あたしも宿が要るんだ」と気づきました。
でもとにかくものすごい列です。ダメだ、こんなの無理だ、順番が回ってきた頃には空室なんてなくなってる、と思いました。
そしてそこで、コニーの顔が思い浮かびました。うちの会社の旅行手配業務部門で働いていて、今村の出張の手配をいつもしてくれてた人です。今思うと、彼女がいて本当にラッキーでした。
早速電話して「休暇中で会社と関係ないんだけど助けて」と頼むと「無事でよかったー!今日あの子飛行機に乗ってるはずよねってみんなで話してたところだったのよ、もちろんよ」とその場で空港近くのホテルの手配をしてくれました。
ホテルで
そんなこんなで、ホテルの部屋を確保し、午後にはチェックインしました。
とりあえずホテルのレストランで遅いランチを食べましたが、他に行く場所もやることもなく、また、この時点では翌日の朝には運航開始となるだろうと思っていたので、部屋に戻りました。
そしてここからは、延々と
- テレビでニュースを見る
- 代わりのフライトを押さえるべく航空会社に電話をする
ことになります。
テレビはどこもニュースしかやっていないような状態で、飛行機が2つ目のタワーに突っ込むあの映像が延々とループで流れていました。あと、ツインタワーが崩壊して土煙が津波のように道路を飲み込んでいく中、人々が逃げまどう映像も。
いや、他の映像や情報も報道されていたはずです。でもあの2つがループで流れていたかのような記憶しかありません。
もう同じ映像を見たくなかったんですが、フライト状況がどうなっているのか知りたかったのでずっとテレビをつけていて、気がおかしくなりそうになっていました。
今思うと「だったらなぜずっと見ていたのだ、アホかお前は」って感じなんですが、もう半分おかしくなっていたのかもしれません。
結局、翌日も飛行機は飛ばず、その翌日か翌々日には再開するもロサンゼルスから日本に行くフライトが取れず、もう取れても日本には数日しか滞在できない日程になってしまうということで、ダラスに何泊したのか今となっては覚えていませんが、日本行きは断念しました。
あの時は「こんな簡単に、ある日突然、日本に帰れなくなったりするんだ……」と愕然としたのを覚えています*3。
愕然としつつ、行きの残りのフライトと帰りのフライトの払い戻しの手続きだけして、コニーにもう一度電話してマイアミに戻るフライトを手配してもらい、マイアミに帰りました。
帰ってから
一体どのくらいの期間人々がおかしくなっていたのか、今思い出そうとしてもはっきり思い出せません。でも、かなりの間、アメリカではみんな精神状態がおかしくなっていたと思います。
これがテロの本質なんだ、と思いました。
家族や友人を殺された人たちが怒り悲しんだのは当然ですが、悲しみと怒りはアメリカ社会全体でも満ちあふれていました。憎しみも。
あちこちで設けられた死者を追悼する場に人々がろうそくを持って集まったり、星条旗を掲げてアメリカ国家として団結してテロと戦うことを呼びかける動きもありました。家に星条旗を立てる人や、車の窓に小さな星条旗をつけて走る人もたくさん出てきました。
マイアミでは、消防士が消防車に巨大な星条旗をつけて走って、危険だからと注意した警察が逆に愛国心がないとモーレツにバッシングされる、とかいうこともありました。
そして、イスラム系の人に対する差別と暴行が急増しました。
それだけでなく、インド人など見た目がイスラムっぽいだけでイスラム系でない人も暴行を受けていました。
もし自分の見た目もイスラム系だったら一体どうなっていただろう?とか、もしテロの犯人がアジア系だったら一体どうなっていただろう?と思うとゾッとしました*4。
たまたま自分の外見は対象にならなかっただけ、そうでなかったら暴行を受けていたかもしれないという状況になって、差別の恐ろしさを改めて感じました。差別的行為自体は今村も受けたことがありますが、身の危険を感じる類いのものではなかったからです。差別の怖さを何もわかっていなかった、と思いました。
そして、とにかく怒りと憎しみで団結して理性を失っている大衆が、本当に、本当に恐ろしかった。
あれほど大衆が怖いと思ったのは、今のところあの時だけです。
その後
コロナ後の状況と比べてしまうと、9.11同時多発テロ後の旅行業界の状況なんてたいしたことがなかった感じがしなくもないですが、あの当時も飛行機を使う旅行が激減して観光・旅行業界は大打撃を受けました。
今村が勤めていた会社もリゾート関係だったので、かなり影響を受けました。そして結局、翌年1月にリストラがあり今村も切られました。
同業界はほぼどこもダメで再就職は無理という状態だったので、就職活動は大変でした。その後、電力会社という全く関係ない業界に転職することになったのは、こういう経緯があったからです*5。
まとめ
犠牲者の中に直接の知り合いがいたわけでもなく、事件当時にマンハッタンにいたわけでもなく、マンハッタンに知り合いがいたわけでもありませんが、9.11同時多発テロは確実に今村の人生に影響しました。
あの時ツインタワーにいた人たちのことを想うと、今でも涙が出ます。火に追い詰められてあの高さのタワーから飛び降りた人たちもいました。
あの時ハイジャックされた旅客機4機に乗っていた人たちのことを想うと、今でも涙が出ます。あの人達も自分と同様カリフォルニアに向かっていたんだと思うとやりきれないです*6。
あの日、自分の家族や友人を失った人たちのことを想うと、今でも涙が出ます。
20年経っても。
*1:だいぶ昔に買収されて今はもう単体で存在しない会社です。
*2:当時はまだスマホなんてなくてガラケーの時代だったので、空港にはホテルの予約サービスに繋がる電話ブースがあったのです。今もあるのか知りませんが。
*3:ちなみに、東北大震災のときは、今村はすぐに日本の家族と連絡が取れましたが、実家が仙台にあった友人がかなり長い間家族と連絡が取れず、「こんな簡単に、ある日突然、日本の家族と連絡が取れなくなったりするんだ……」と愕然としました。
*4:コロナ後にアメリカではアジア人に対する差別や暴行が増加しましたが、状況が想像できすぎてしまって辛かったです。
*5:NextEra Energyのことですが、この会社の話はこちらでしています。
*6:3機はロサンゼルス便で、1機はサンフランシスコ便。